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4月, 2026の投稿を表示しています

差別についての覚書

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  だんだん、「自分たち」という架空のナショナリズムを強めるほど、「他者排除」の防衛機制が働き、差別が発動するメカニズムが見えてきた。頭が弱い人だけが差別するのではないが、差別をすれば頭は弱いんだ。そして、そのメカニズムはぼくの中にもある。それは分かっている。零コンマ何秒でそれに気づき修正することが、倫理かもしれない。カウンター行動に出る人もいるだろうが、ぼくはそれをやったら、「相手のところまで自分の品位を下げればそれは自分が下がることに言い訳はできない」と東大教授に言われた。それ以来、差別には取り合ったり、取り会わなかったりするが、ぼくは小2にはオーストラリアだから経験値は東大教授より深い。そういうことも含めて、差別のことを対象化して考える年齢に差し掛かる。

昔の家

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  夢で、昔の家の裏の大吞さんという家のおじさんと話をする夢を見た。ぼくはそのおじさんは会ったことがないと思うので架空のおじさんだ。「白川大学というのをきみは知っているか?」と言われ、そこのシンポジウムの情報をもらい、家に裏の家から帰ると、我が家は改造されていて、そこの本棚に、インターネット登録のあるはずのない本があり、手に取ると、巽研究室の本だとあったが読んだことのないモンゴル関係の本で、モンゴル語と日本語が入り混じった研究書だった。ぼくはその本を「読んだ後に返せばいい」とパクったら目が覚めた。大吞さんは、「きみは小さい頃縁側でうちの方を見ていた」ということを言っていた。 前の夢では、昔の家に「もう来るな!」と言われたが、今日、昔の家に行ったら改築されていた。 夢の中では、昔の家にカギがなく、隣の家と直通だった。小さな庭を通過して。 ああいう建築は面白い。新しい夢の家の発想か。  

2012年の記録より(小説)

  愛している、と言った手前、そうせざるをえなかったのか、それともそれが「本当」の気持ちだったのか、今になって確かめる術はないのかもしれない。これは愚かな信仰告白かもしれないのだ。過去を振り返ることで人は何をえることができるのだろうか。ぼくは渋谷の松濤の辺りを歩きながら考えていた。駒場へと抜ける道をいつものように辿りながら。ぼくは彼女に申し訳ないことをしたと思っている、申し訳ないことをしない男なんていないともぼくは思うが。  七尾旅人さんのうたを聴いている。放射能があって、全てが変わる前の思いやうたや小説を今、どう書けばいいのだろう。大学時代は既に放射能以前へと遠い過去になる、なったのではないか。ぼくは今からその頃のことを、そしてこれからのことを書きたいと思うのだ。これは私小説ではなく、何なのかまだ分からないが、フィックスされたフィクションであるのは間違いないだろう。人が何かを語ることはいくらかは常にフィクションなのかもしれない。そうでなければ張り裂けてしまう、そういう思いだってある。  ぼくは学生時代の話なんてしたいんじゃない、それはもう昔のことだ、だけど、そこからだって一歩も、半歩も外に出られていないじゃないか、とぼくは思う。その憤りでしかないのかもしれない。32歳になり、卒業からも、 6 年が経ってしまった。彼女を最後に見てからもう7年になる。 Seven years in Tibet, 学生の頃に書いた小説に、 7 年間の思いのたけを書いたが、そこにはまだ情念も、生き続ける何かも見えていなかったと思う。ぼくはその 7 年の 7 年後を書こうとしているのかもしれない。   Chet Baker を聴きながら、この 7 年間に生まれたジャズへの嗜好を思う。やはり新たなものが人生に導入されて、昔の好きな人を思い出したりしているのはひどく悪趣味なのかもしれない。少なくとも、そこには気の利いた物語の一つもなかった。なかった、ということがもう一つの執着なのだろうか?過去や物語への。    病院の少女はぼくの手相を見て、その頃にいた女性はとてもいい人だ、と言っていた。たしかに彼女の忍耐がなかったら、ぼくはどうなっていたのだろうか。  またぼくに次の恋人ができたころ、それがぼくの運命なのだと思っていたころ、彼女はもはやぼくの人生にいなかった。...

骨を併せ吞め、SAHAJi いつかの再会の時

  Ictus, 心拍。 蕉太郎が緑の服を着て現れた時、俺は 1 ファンであることを忘れて、ポンポンと肩を 2 度叩いた。 蕉太郎は振り返って無言でステージに立ち、 Don't touch my soul, を歌い始めた。 それがよかった、らしかった。 Rock'n roller だ、励まし、いたわり、なんて要らない。 サングラスを外すまでは、笑顔もまだで、声はいきどおりを含んでいる。 曜志朗もサングラスだ。 音で 2 人の関係性をいぶかりたくない。 音は合っているが、それはプロとして、兄弟として、対話として、オーディエンスに対して、合っているを越えないといけない。 クーラシェーカー、 俺はファンになかで情報通がいるのを喜ぶ。一早い情報、深さを喜ぶ。 学生だから来れなかったのかもしれないが、いいファンがいるのを喜ぶ。 ファンを喜ぶ、 SAHAJi が分かるファンをよろこぶ ! 生きていることを喜ぶ、 また来いよ、と言ってやりたい。 こいよこいよ、 そうでないと始まらない。 ファンは来いよ、緊張も融ける。 愛はつながる、あいつは来ないが、 I wanna be there が今日は違った。 Hey, if life was... dumb thoughts, don't give a fxxk, 「 Yeah! CD 買っちゃうよ ! 」 「本気にするよ ! 」 とアユガイさんも応じる。 2 つのバンドのファンが融け合う。 俺はもうモンゴルを目指していない。 I wanna be there は感傷のスイッチじゃない。  Gobble up your bones, 意味の無い述懐に周巡しない。 こねくりまわした言葉じゃなくて、伝わるのは、 "Take me to the world!" それだけでいいじゃないか、 世界に出たいんだ ! それだけでいい。 あとはどんなメッセージが要る ? SAHAJI なら間違いない。 万事、ここにいることを自慢できる。 Kirsch 酒飲んでも味わえない、 グラス一杯の夢じゃないんだ。 ここにいることが現実でキセキなんだ。 ブゥドゥー教の知識も要らないよ、 水木しげるもびっくり、 たくさんの忖度会議、 愉快な園遊会、 にくいね、皮肉を言って、...

教育の夢

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  今日は8時間眠れた。  夢で初めて勉強を教えた病院にいた女の子が出てきた。あれはぼくが30歳の時の入院だろう、まだ塾で教える5年前だ。  場面は変わって、ぼくはその子とサッカーをしていた、ボールじゃなくてチョウチョみたいな小さい紙を蹴っているので蹴りにくいのだ。  ぼくはボールを浮かせてヘディングでその子にゴールさせようとするのだが、ボールが上手く上がらないでも、その子がヘディングをして、キーパーがはじき、ぼくが左足でつめてゴールにボールが入った。  ぼくが教えたいのは、困難を抱えていても、ラジオのパーソナリティになりたいというような職業の夢を実現できるまで、そこまで教えることなんだ。  だからこの道でいい。  大学に入れるまでで終わる教育じゃなくていい。  それがぼくが受けたかった教育なんだ。  学生は、生きることを学ぶ。  生徒も、生きることについて従う。  生きることが軸にならないといけない。  ぼくは46歳まで冒険は少しだけかもしれないが、生きることを教える、ついに。  それはぼくが受けたかった教育なんだ。  ぼくが学んできて実践し、そこで得たことを伝えていくことだ。

ロイコとレダ

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  『マカル・チュードラ』はステップのジプシー遊牧民の話で、モンゴルの話ではないが、遊牧民のメンタリティ、ステップを描いているように思う。 ぼくはネットで英語訳を見つけて何度も読んでいる。ゴーリキーのこの作品に出てくる、 Loyko という名前のバンドを2002年にパリの CD ブティックで見つけて以来。   ロイコは、英雄で狩りから戦争までなんでもできる。歌も歌える。レダは女性で、いろんな男が寄って来るがかなり傷つけて追い払う、嗤う。 ロイコがレダを見つけ話し、緊張で笑い話をすると、レダが「ロイコ、あなたもそうなの」と言う。くだらないのと。嗤わないが。 それで英雄ロイコは自由しか知らないから凍りつく。 自分が支配されているのを感じ、悩んだ末、レダを刺す。 レダは、「こうなるのはわかっていた」と言う。 レダの父親がロイコを刺して、2人は白鳥になって飛び去る。 ゴーリキーはすごいストーリーテラーだ。   本当に男と女が出会ったら、主導権争いになる。これはロイコとレダの間で、レダをロイコが刺し、レダの父親がロイコを刺すところまで行った。メンタルで女性に男性は勝てず、物理的攻撃に出る。そして娘が大事な父親はロイコを殺す。 これが論理的な帰結で、笑い話と緊張緩和があるからこそ、カップルは成り立つが、世俗的で美ばかりではない。それでいいんだ。でも、美には憧れが残る。それもそれでいい。

受けた英語教育と自分の編み出した英語教育

  ぼくは苦手な文法に関しては、『ロイヤル英文法』と駿台のSαの長文読解解説授業が役立った。でも自分は文法は教えられない。生きた英語に興味があり、文法は骨格と筋肉の標本だから。解剖学だ。  英語に関しては駿台で都内最高峰の授業を受けている。鉄緑会の英語もいいと東大生に聞いた。単語を語幹から考えさせると。それはかなりレベルが高い。  うちの家は、祖父はイェール大学医学部フルブライト。父はAFSで高校1年間アメリカ。英語は住友商事で一番できると言っていた。ぼくと弟が幼少期から5年間オーストラリアと一番条件が良かった。ぼくはモンゴル語とフランス語をやり、日本語から英訳を作った本は5万部売れた。日本語の英訳を鍛えた。ここが高2駿台模試偏差値83の要、英作文が一番点が高かった。  朝日新聞英文エッセイコンテストも佳作に高1で入った。  英訳が要かな。  塾でも一番の生徒にだけ、既存の教育を無視し、最適な教育をした。自腹で医学部の赤本も買い、教材も作った。この生徒はできるが腐っている、その才能が輝くのを見たかった。それには学校教育を無視し、それ以上の「英語ができるようになるために最適なこと」をした。その結果、東大入試時点で英語のテストが一番できて、東大理Ⅰから言語学に転部するくらい語学が伸びた。その先に再びパイロットになる夢がある。素晴らしいことだと思う。世田谷学園の生徒だったが、ぼくは早慶の生徒よりも、自腹の教材を準備するくらい入れ込んだ。それは中学受験で海城に落ちて、それは塾の責任だと思うが、ぼくは河合塾に移籍させて、東大に入って以降も、外村先生の授業を紹介し、また就職活動の年も配慮してメールしていた。 むしろあまり書かないことを意識していた。  能力のある人は、周りに見出してくれる人がいないと腐る。  そこを見つけて、本気なら学校教育を無視して英語を教える。  そこまでできたら、つまり職場の義務を放棄して生徒の人生を優先させたら、結果は出た。  他の生徒は東大までは行っていないから。

渋谷毅の音 

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        メロディに乗る時、  おもむろに  横槍を払う下の音。  運命が動き出す前に、  周到に、  (気づいている)  と。    刃先を払う弓の流れ。   達人がいる。  全てがなめらかで、  演者の名さえ忘れるような音の連なり。 20年の臥薪嘗胆に響き、  創(きず)痕を潤す。  労苦を融かしてゆく。    いい意味で苛立っていた。渋谷毅にぶち当たった。わかろうとすれば潰される。独り相撲が始まった。震撼や事件ならまだよかった。音楽批評自体が崩れ落ち廃業したようだ。ライターではなく、リスナーになった。ライヴに来てらした女性が、「涙を流しながら聴いていました」と。それしかない。 あるいは非日常の日常化としての CD 。感情における言葉の無力。 かろみ。おもむろに流れ出す素晴らしいメロディ。ほつりほつりと解れていく。そこに木像菩薩のいるような周到さ。  渋谷さんのピアノに自分の全思考が引き出され、反映され、その先のわからないところまで音に導かれた。蓮が浮かんでいるようなイメージが見えた。池に浮かんだ蓮の上に雨が降っているんだけど、春で温かいような。池に蓮がいくつか浮かんで、池の波紋が蓮を揺らしているイメージ。展示していた自分の絵も、 Recht, recht レヒト、レヒトとドイツ語で語り始めた。    終演後、黙って演奏を噛みしめて帰るのが正解のところを、あえてこの世に自分を存在させた。存在しないと存在できない。 渋谷毅さんに話しかけるときほど、場違いでいいと思ったことはない。「雲上人です、こんなピアノは、聴いたことない」 と絶句すると、 「へたなピアノですみません」とサラッとおっしゃった。 そこにまぎれもない渋谷さんがいるという気がした。     半径2メートルに入らないとマギステルの苦渋までは聴けない。高円寺グッドマンの客席でぜひ。        

学校教育の補助としての塾の展望

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   フリースクールを見ていたら、中3以降はふつうの高校に受験をして入らないといけない。だから勉強はできないとならない。  そして、ぼくは通常の学校に行けない生徒も何人か塾で教えた。身体の病気が理由で一時的に学校に行けない生徒もいたし、事情は様々だ。  フリースクールの月謝というのは、ぼくが聞いた範囲だと5万円とか6万円。週5でみているのだからそれくらいになるのだろうが、相当ベテランの先生がみてらした。  ぼくは学習塾、受験指導の第一線ではない、ソフトな塾を2つ経験し、やはり私立・公立問わず公教育の学校が教育のベースだと思う。フリーに独自の教育法をとろうとは思わないが、稀に自分独自で編み出した英語勉強法を使う。これは東大に入った1人の生徒だけに提供した勉強法。早慶ほど学校教科書が固定で難しくない学校で、試験期間以外は生徒がおもしろがれるように独自教材を使った。 医学部の赤本も買い、有名な心理学論文もコピーして渡して和訳の宿題を出した。 高1で最難関の授業をして、ポテンシャルを確かめた。  生徒は英語の授業がつまらないから手を抜いているのだと分かったので、難しい問題を出したのだ。  それがファイトを高1で引き出せば、2年間、河合塾に移籍して東大に入る。高1で英語は大学院レベルまで教えて確かめたから、安心して移籍できるようにぼくは塾を辞職した。  そこまで思い入れがある生徒なら東大まで行ってくれる。  早慶の生徒ではここまでできない。カリキュラムがある。  学習塾は学校サポートだ。  だが、ポテンシャルが高過ぎる生徒には違う対応が必要で、腐っている生徒には刺激が要る。  ぼくが35歳で講師になった時は小5だった元生徒と、今は大学を卒業したので、メールで話ができる。ぼくが塾に行った時は、いつか自分の生徒がソルボンヌに行って欲しいと漠然と思ったが、彼がパイロットになりたいという夢を教えてくれたので、各人が自分の人生を楽しめるように生きてくれれば、それはソルボンヌである必要がない。ぼくは「皆が力一杯に生きられるように」という青丘社の標語もいいと思うが、「楽しめるように」でいい。それには学校で苦しむ経験も必要で、苦楽がある。苦があるから楽があり、大事なのは楽があることだ。  夢の実現。夢は途中で成長する。  だから、楽しければ、夢は固定ではない。  もとはといえば、35歳で姪が...

レッテルがあるから菩薩になれる

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  幅広い友人がいて話ができるのがぼくの特徴で、一番上は親が金山持ってる現役政治家。そこから生活保護の友人とも今もメールしている。上の人は相手にしている人数が多いから返信はまずない。これは世界が違うのだが、思い出したころに読んだり反応がゼロではない。  同じ人間だということは知っている。  ぼくはソルボンヌ総長が書くことまでは理解できる。東大教授の論文が英訳できる、下訳までは。理解できる。  そのうえでぼくは初等教育後半と中等教育にコンバートされている。それは「鉄は熱いうちに打て」ということもあるし、また英才だけを教えるわけでもない。民主的基盤として、福祉社会を経験し、そこで文字を教えたり、初歩的な勉強を、句読点の打ち方から教えたこともある。エリートだけを育成してきたわけではない。民主的基盤は教育にある。  ある意味では、自分が脳、精神に疾患があると医学に言われていることが、ぼくは医学に全て同意はしていないが、その「劣位」があるからこそ、ぼくは知的障がいの人たちとも共に笑い遊べた。その経験が民主を支える。そのレッテルがあるから、菩薩行が可能になった。権力の化け物にならずに済んだ。だからレッテルも無意味ではない。

Writing is ignition of love

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Writing is ignition of love, while it ends for the writer himself to be young and free anymore. Never a fancy was love, never it is. Writing is dead, past, past-tense, it is far away. Passer-simple. If you feel it's a tragedy it's not past yet. A comedy is to laugh to let it forget, you regret it some. When it is a fact, a memory, it begins to write, you begin to write it down. Writer knows already it is a story. It may mean that there is love but not for own sake only. But you write it down if you are a writer. The story you have to tell begins.   書くことは愛の点火である、書き手の若さと自由の終わりとの引き換えに。 愛はかりそめではなく、いつもある。書かれたことは死に、過去になり、過去形の文法で書かれる。はるか彼方に去る。単純過去時制で。 もしそれを悲劇と感じるならば、まだ過去になっていない。喜劇ならば忘れて笑いたい、そして少しまだ後悔している。それが事実になったとき、それが一つの記憶になったとき、回想を書き始める。 書き手はもうそれが物語だと知っている。そこにも愛はあるが、もはや自分のためだけのものではない。しかし作家ならばそれを書く。伝えなければならない物語は始まる。  

つむじ風、佐渡山豊論:Being there. そこにいること。

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  本を書くのではない、一文字を書くのだ。一行を書くのだ。その先にしか道はない。「つむじ風」を聴く、佐渡山豊を聴くということは、全ての音楽を聴くのと同じ方法、形しかありえない。あまりに当たり前のことを言うと、人はぼくを愚かだというが、それ以外に自分が言いたいことはない。聴いていない、書いているだけではないか、模倣の先に何かを付け足したい、それだけのことではないか、自己批評はたくさんだ。不幸な人たちとぼくは切れていたい、あのテレビの笑い声がぼくには阿鼻叫喚に聞こえる。テレビを蹴倒したとしても、テレビの奥の不幸の種まで消す、なくすことが人間にできるだろうか。佐渡山豊の歌に対してできることは共振、共鳴だけである。ルリヲ・フルチ氏も共振した。私にもそれ以外の道があるわけではない。感情の大きさに向き合えるだろうか。音楽は聴いているリアクションが全てだ、私には内省と共振しかない。体を揺らす、音楽に乗る、ということは私の場合はありえない。そういうことは、アフリカのリズムの為せる業だ。佐渡山豊の歌はもっと深い情感に響く。日本語である限り、意味も分かる。詞で聴くのではなく、歌で聴くとしても。翻訳者として私は、佐渡山豊の歌を英語に訳した。この歌は果たして、聴くものが「日本語を学びたい」と思う歌だろうか?それとも、それは日本語を越えて伝わるものであり、日本語ともどこか、切れているのだろうか。この情感、この声量、この奏で。この歌曲は地を奮わせる歌なのだ、地霊の心の底に響く。聴き続ける体力、気力、心があなたにあるか。頭と胸と手足と心で、一心に聴くことができるだろうか。私は私の騒音の中で聴いている。純粋な無菌室で聴くのではない。世の不幸のなかで、すすり泣く笑い声のなかで、私も生きている。自分の音を見つけたような、たまさかではない輝きのなかにいた。そこからどう下降するわけでもない。痛みが痛みとしてある。この歌は正直である、不幸を不幸だという歌だ。だからこそ、喜びも在る。ザイン、西洋語を借りなくてもよい。存在、ダーザイン、現 ‐ 存在があると翻案もできる。ここからが自らの影響圏の話になる。ヒリヒリと、佐渡山豊の全楽曲を聴いたから語るのではない。百科全書、博物学では迫れない、「良知」、「格物致知」、朱子学や陽明学、あらゆる知が涙をのんでいる。涙は笑いに変わる、涙だからこそ、笑いが渇いていない...

Nevermore ポール・ヴェルレーヌ

思い出 思い出 ぼくから何が欲しいんだい 秋よ ツグミをゆるんだ空に飛ばせ そして太陽はひたすら注ぐ 黄色じみた枝の上に 吹き荒れる北風のなか   ぼくたちは 一人一人で 夢見心地に歩いて 彼女とぼく 髪と考えごとを風に抱かれ 突然 心打たれる様なまなざしでぼくに振り向き 「あなたの一番大切な日をどうしたの?」 いきいきと輝く声で言った   優しくてよく響く声 天使のようなすずしい音色で 慎ましいほほえみが応えを与えた そしてぼくは彼女の白い手をとった、敬虔に   ああ かぐわしい最初の花々よ 魅惑的なつぶやきとともに漂う 初めての いいよ かくも愛された唇からもれ出た!

大人の自覚

  2014年の地下大学で、音楽評論の東琢磨さんと対談という形でイベントをさせていただき、でも、本当の意味で深部まで、ひがしさんと出会えたのか、ぼくは今は分からない。むしろ12年経った今、本音の自分が、地金が出ているのか、それとも隠蔽を生きているのか。人が出会うというのはそんなに簡単じゃないという自覚が今はある。あの対談は今思えば上っ面だった気もする。平井玄とは足尾鉱山の地域、反骨、徹底抵抗があるとは思う。それと住友商事の会社員の息子である自分が広島の地金を出しても、交流は続かなかった。そこのリアリティが逆に今、面白く、重要だという気がする。出会えなさの階級性だろうか。   子孫ができると、躓くというか、守る。そこで運動、永久革命は終わる。妥協、生存が始まる。死ぬまで闘わない、生きるためのみにたたかう。そのときに、見知らぬ他者を踏み潰すことを計算に入れる。感情を処理し始める。面の皮は厚くなる。それが生き続けることにつながる。   「私が育てた羊を私は革命のために無償で供出しない」という自覚がフランス革命を止めた。私有財産の守護。それは、イギリスの自由の根幹だ。日本帝国主義は供出させた。理性は来なかったが、原爆が落ちた。それで理性が戻った。戦いは終わった。  文化・歴史の違いだとは思う。   押し活から統一教会まで、どうしたら金が止まるか?理性、ふと貢いでいる自分を自覚した時、自分が何なのか見える。見たくない自分がまずいる。 「太陽も死も見続けることはできない」というが、自分を観ることはもっと苛烈だ。 自分さえ見ないでいいなら何でもいいとまでなる。 「何言ってるんですか?最高ですよ!」 の論理。 それは高度成長の終わりにやってきた。 バブルとオウム真理教。 なんでも可能な富は凋落に緩やかに堕ちて行った。   「どんなときも どんなときも ぼくがぼくらしくあるために 好きなことは好きと 言える気持ち 大事にしたい」 90年代槇原敬之の歌の頃は、自分を見失いそうになるほどの富が日本人のある層を襲い、そして「最高」になるために、セクトは富を蓄え、その資本もバカにならない科学力を持った時に、鬱屈が地下鉄サリン事件になった。 いくら「最高」と言い続けても階級制社会だ。   残念な...