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批評ということ

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 ぼくは最高の表現、絵でも、言葉でも、サッカーの得点のシュートでも、2回までだと思う。1回あれば2回目はある。でも、渋谷毅さんの最高潮の音、ピリャンも2回だ。3回目はないのを渋谷さんは知っている。ぼくが渋谷さんを「マエストロ!」と2回褒めると、「え?」と2回聞かれたので、3回目は「巨匠!」と言い換えたら、「なあんだ」と。それでも、ぼくは渋谷さんなら3回目でも答える。サッカーなら2点で満足するが。ハットトリックはきれいなゴールにはならないだろうが。 和久傳 おつくり  この前、京都旅行は、酒陶柳野、和久傳、と2度最高潮の後に、三越の別館でいい美術書などの階を見つけ、そこを25分くらい観ていたら、体力がキャパオーバーで体調が崩れた。  だから、ハットトリックとか、マラドーナの「神の手」ゴールは、人生の予後に影響するかもしれない。人生の悦びは、ぼくは爆発させない方が養生になるという考えだ。  それでも、人を褒めるということは、自分が下手になるということだから、恥をかいても褒めるべき時だ。  それがなければ批評の正確な評価はない。  自分が下手にならなければ、笑いもない。 酒陶 柳野 前菜盛り合わせ

救いとしての絵

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   もしも、病気にならなければ、ぼくは病院の作業療法で大人になってから絵を描くチャンスをもらえず、絵は描くようにならなかっただろう。25歳で捕まって、最初は革細工のキーホルダーを作り、やがてビーズ細工でアクセサリーを作る。そしてようやく絵が来た。ほとんど小学校以来のお絵描きタイムだ。  もしぼくが哲学者になっていたら、きっと多くの人を悲しませたと思うが、絵は救いになる。それがいい。哲学は否定性であり、曲げて、納得させる。絵は肯定であり、描いたものを愛させる働きがある。  より多くの人を救うのは簡単な絵なんだ。  もしぼくが本の中だけでなく、哲学が語れるとしても、ぼくはもう絵を止めることはないだろう。  それが救いだから。

佐渡山豊論の続きとして「琉球の足音」

    琉球の足音(2022年) 東和史      東京を出る3日前から、  心臓がリズムを失っていた。  トゥグルク、トゥグルクと、  鼓動がしていた。    発育不全、どもる思想  それしかない。  「戦争」と言えないからこそ、  「ダダ、ダダ」と叫んでいる。    苦り切らない疾走。  苦さに溺れない責任。  民族の紐帯か …    ティーダ・ぎやまん(太陽のダイヤモンド)  撚り合わされた糸が発光して行く  国吉亮のギター、  ローリーのラヴソングを、  大きな太陽は隻眼に捉える。   Libertad.  佐渡山豊の自由と覚悟をききに来た。    約 600 人の琉球新報ホール、海勢頭・佐渡山「ゆたかゆたか」ライヴの熱狂、カチャーシー。    次の歌を譲り合う海勢頭豊さんと佐渡山豊さん。2人のうちなぁの巨匠が、それぞれの歌を、それぞれのバンドで展開し、両者の歌が結び合い、次の歌が切望され、流れ出す。しあわせなライヴで、杖のおばあさんがステージ下を何度か横切って休憩に行く姿を見たが、アットホームで、場の温かみが感じられた。    海勢頭豊さんの大陸まで届く遥かなスケール、  おおらかさ、アルハンブラ宮殿を描き出すようなギターの調べ。  それに、よく調和して張りのある、みちささんのヴォーカル、絶唱と言っていい。  海勢頭愛さんのヴァイオリン。空を涼しく切る音は甘過ぎず、凛としている。  ハーモニーであり、かつ個が際立っている、3重奏であり歌。  ニライカナイ願望のない自分が、島や島の御嶽に行ってみたくなる。これが龍神様に仕える海勢頭さんの音かと感じ入る。    じひびき、  地響きがきこえた。  隣の席の友人の膝が振れているだけではない。  会場前列から、  会場全体をどよもす熱気、しわぶき、嘆息、エトセトラ  琉球の嘆きと心を寄せる人々がそこにいた。    私は、   Set it right.  この狂った世の中を糺す、と、ハムレットの一言を呟いた。(了)

瑞祥

      今日は、すごくいい夢を見た。  全ての愛が報われて、そのなかで自分を反省できて、みんなで満たされる夢だった。 ぼくもぼくの未熟を感じつつ、誰かに愛を伝えたかったが、自分のことは後回しにしていた。だけど、それも含めて、みんなで話せて、それがとてもよかった。 起きたら、友人と佐渡山さんからメッセージが来ていて、それがうれしかった。 夢のなかでは国吉亮さんに、本当の愛を見せていただいて、教えていただき、心が晴れていた。 誰のない愛は、全ての愛であり、確かな愛なんだと思い、起きてからいろんな歌を思い出した。 ぼくは話さない ぼくは考えない だけど 終わりのない愛がぼくの魂にやってくる そしてぼくは遠くに行く、とても遠く、まるで風来坊のように 自然に まるで女といるかのように ランボー 1870年3月