難問と沈黙
夜が暗くなり始める時、塾を出て家路についた生徒が引き返してきた。 鳥が死にかけているという。 「先生、どうしたらいい?」と。 中学2年生の生徒だった。 難問に瞬時に答えるべきか、ぼくは答えなかった。 「先生、苦しそうだった。いっそ殺してあげた方がいいの?」 ぼくは、 「いや、それはしないでいい。」 と答えた。 教室管理の女性の先生が、 「かわいそうだね。でも、暗いからおうちに帰りなさい。」 と言っていた。 ぼくは難問に答えるにはどうしたらいいか、少し考えたが、そのことは忘れた。 今、トランプアメリカ大統領が、イランの標的を爆撃し、もう少し鎮圧後も、遊び玉を撃つかもしれないと。これはレイモン・アロンが東京大空襲について書いていたことで、軍隊はすぐには止まれない。感情が残る。そこまでトランプは知っている。 だがそこには慈悲が無く、自軍への配慮しかない。 大統領、国民国家の代表としては十分な心構えかもしれない。 だが、大統領は1人だけなのだ。他の人まで大統領である必要がない。 慈悲心のある兵士である方が尊敬を集める。 市民も自分の意見を持てばそれは民主主義社会なのだから、通じる。 それが民主主義の大統領制だろう。 民、民衆次第なのが、民主主義だ。 だから、難問に答えて見せるだけが業ではない。 沈黙でもいいのだ。