21年の述懐

 



 ぼくは、25歳4月に外村先生の授業に出て、6月に捕まって病院に措置入院になった。そして、9月に後期の授業で再び外村先生の授業に出て、レポートを書いたり、夏にハガキをいただいていたので、冬にレポートを添削していただいた。その流れでメールアドレスを教えていただき、実に百科事典7巻分のぼくのメールが始まった。孤絶、話し相手がいない叫びだ。

 2006年3月にメールが始まり、2026年現在も、週に1通は書いている。2007年にはぼくはフランス外資に入り、先生は東大の准教授着任。ぼくは外資を3週間でクビになり、再び東大での外村先生について行く。そして、2年半の静岡行きも。
 この20年で、東京外語大非常勤講師だった外村先生は、東大の重要なポストを持つ教授になり、ぼくは初期から、姜尚中の論文で外村先生の名前が間違って引用されているのを見て、その注目度合い、ポテンシャルを感じていた。
 非常に冷静で力のある人、見者だと思う。
 
 この20年間で、ぼくが得たものは、宿痾の病、統合失調症のコントロール、糖尿病のコントロールも、目途がついたことで、杏林大学病院の以前の副医院長が、「あずまくんはわかってる。わかってるけど、できないんだなあ」と言って下さるくらいには、理解できていた。今は治せる、コントロールできると思う。
 つまり、ぼくは2005年に捕まり、21年間の医学者たちとの対話を、歴史学と生活指導の外村先生のおかげで乗り切り、現在わりと自由の身だ。
 このメリットを発揮すべき時だ。

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