絵の軌跡

 


 初期の頃、絵を描き始めた頃だろうか、佐渡山さんがフェイスブックを始めた頃、絵をよく見ていただいて、チャットで、「完璧だと思ったらわざと崩しちゃうんだ」というようなことを相談したというか、書いた気がする。絵に余計な線を入れちゃうと。この心の歪み、ペシミズムが治るまで、2015年から、11年かかった。つまり絵は夢だから、完璧でもいい。この世界をひと時忘れられれば、誰かの役に立つということが分かるまで11年かかった。佐渡山さんの歌詞、歌がぼくには完全調和に思え、ジャズでさえあるときに余韻があり、それは心地いい。
 世の中に完璧はないから、bフラットのバラードがある。それは心地いいんだ。「わざと崩した」んじゃない。自ずと遊んだんだろう。それが絵にも必要。最後の一筆。

 感謝を記すことは恩が分かることで、それはいつも遅れて来る。
 言っていただいた言葉の意味がすぐわからなくても、鈍い自分にも、成長と共にだんだんわかる。

 ぼくも少なくとも5年間は教育の場に身を置いた人間だ。
 大きな未練を研究に抱きながら、また独学を続けながら、
 「3回絵を展示したら観に行きます」と外村先生にも言われている。
 まだ個展は2回で、ぼくはここで少し休んでいる。
 それは、心が来るのを待っている。
 未練を整理して、もう始まっている絵に納得できるのを、3回目だから待っている。
 


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