批評ということ

 ぼくは最高の表現、絵でも、言葉でも、サッカーの得点のシュートでも、2回までだと思う。1回あれば2回目はある。でも、渋谷毅さんの最高潮の音、ピリャンも2回だ。3回目はないのを渋谷さんは知っている。ぼくが渋谷さんを「マエストロ!」と2回褒めると、「え?」と2回聞かれたので、3回目は「巨匠!」と言い換えたら、「なあんだ」と。それでも、ぼくは渋谷さんなら3回目でも答える。サッカーなら2点で満足するが。ハットトリックはきれいなゴールにはならないだろうが。


和久傳 おつくり


 この前、京都旅行は、酒陶柳野、和久傳、と2度最高潮の後に、三越の別館でいい美術書などの階を見つけ、そこを25分くらい観ていたら、体力がキャパオーバーで体調が崩れた。
 だから、ハットトリックとか、マラドーナの「神の手」ゴールは、人生の予後に影響するかもしれない。人生の悦びは、ぼくは爆発させない方が養生になるという考えだ。
 それでも、人を褒めるということは、自分が下手になるということだから、恥をかいても褒めるべき時だ。
 それがなければ批評の正確な評価はない。
 自分が下手にならなければ、笑いもない。

酒陶 柳野 前菜盛り合わせ


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