レッテルがあるから菩薩になれる
幅広い友人がいて話ができるのがぼくの特徴で、一番上は親が金山持ってる現役政治家。そこから生活保護の友人とも今もメールしている。上の人は相手にしている人数が多いから返信はまずない。これは世界が違うのだが、思い出したころに読んだり反応がゼロではない。
同じ人間だということは知っている。
ぼくはソルボンヌ総長が書くことまでは理解できる。東大教授の論文が英訳できる、下訳までは。理解できる。
そのうえでぼくは初等教育後半と中等教育にコンバートされている。それは「鉄は熱いうちに打て」ということもあるし、また英才だけを教えるわけでもない。民主的基盤として、福祉社会を経験し、そこで文字を教えたり、初歩的な勉強を、句読点の打ち方から教えたこともある。エリートだけを育成してきたわけではない。民主的基盤は教育にある。
ある意味では、自分が脳、精神に疾患があると医学に言われていることが、ぼくは医学に全て同意はしていないが、その「劣位」があるからこそ、ぼくは知的障がいの人たちとも共に笑い遊べた。その経験が民主を支える。そのレッテルがあるから、菩薩行が可能になった。権力の化け物にならずに済んだ。だからレッテルも無意味ではない。

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