学校教育の補助としての塾の展望
フリースクールを見ていたら、中3以降はふつうの高校に受験をして入らないといけない。だから勉強はできないとならない。
そして、ぼくは通常の学校に行けない生徒も何人か塾で教えた。身体の病気が理由で一時的に学校に行けない生徒もいたし、事情は様々だ。
フリースクールの月謝というのは、ぼくが聞いた範囲だと5万円とか6万円。週5でみているのだからそれくらいになるのだろうが、相当ベテランの先生がみてらした。
ぼくは学習塾、受験指導の第一線ではない、ソフトな塾を2つ経験し、やはり私立・公立問わず公教育の学校が教育のベースだと思う。フリーに独自の教育法をとろうとは思わないが、稀に自分独自で編み出した英語勉強法を使う。これは東大に入った1人の生徒だけに提供した勉強法。早慶ほど学校教科書が固定で難しくない学校で、試験期間以外は生徒がおもしろがれるように独自教材を使った。
医学部の赤本も買い、有名な心理学論文もコピーして渡して和訳の宿題を出した。
高1で最難関の授業をして、ポテンシャルを確かめた。
生徒は英語の授業がつまらないから手を抜いているのだと分かったので、難しい問題を出したのだ。
それがファイトを高1で引き出せば、2年間、河合塾に移籍して東大に入る。高1で英語は大学院レベルまで教えて確かめたから、安心して移籍できるようにぼくは塾を辞職した。
そこまで思い入れがある生徒なら東大まで行ってくれる。
早慶の生徒ではここまでできない。カリキュラムがある。
学習塾は学校サポートだ。
だが、ポテンシャルが高過ぎる生徒には違う対応が必要で、腐っている生徒には刺激が要る。
ぼくが35歳で講師になった時は小5だった元生徒と、今は大学を卒業したので、メールで話ができる。ぼくが塾に行った時は、いつか自分の生徒がソルボンヌに行って欲しいと漠然と思ったが、彼がパイロットになりたいという夢を教えてくれたので、各人が自分の人生を楽しめるように生きてくれれば、それはソルボンヌである必要がない。ぼくは「皆が力一杯に生きられるように」という青丘社の標語もいいと思うが、「楽しめるように」でいい。それには学校で苦しむ経験も必要で、苦楽がある。苦があるから楽があり、大事なのは楽があることだ。
夢の実現。夢は途中で成長する。
だから、楽しければ、夢は固定ではない。
もとはといえば、35歳で姪が生まれるからやむなく塾で生まれる1か月前に働きだした。最初は中学校の夏期講習講師。
それから11年で、途中5年間フランス語しか読んでないブランクがあったが、「教えてほしい」と親御さんから言われるようになった。
立候補、自己推薦も大事かもしれないが、教育は、「教えたい」ではなく、「教えてほしい」と言われたら初めていいのが、古代以来、儒教でもそうだろう。
近代教育は国家が進行するが、それについて行く民衆は大変である。だからその補助に塾があっていいと考える。


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