フモレスク

 ファノンの、ヘーゲルへの抗しがたい魅力、蠱惑とその読み解きは、日本左翼のファノン読みには欠けているようにも思う。そこは岩崎さんができそう。ゼミでファノンを読んでいた。ぼくはフランスから帰ったばかりで、ファノンを読むにはフランスが美し過ぎた。その幻影、残像のなかではファノンは読めない。

 

サルトルのファノンへの共感と、レイモン・アロンのファノンの暴力への抵抗感は、別のアロンの悪魔的暴力を引き出す。その本が『暴力の歴史と弁証法』という和訳の無い本だが、これは駒場の河野書店に乱丁本があっただけで、もう買えないと思う。日本でぼくしか持ってない可能性も。デリダはフランスの玄人だが日本人は素人だ。

 

鵜飼哲さんの本を注意深く読めば、いかに日本にフランス事情が伝わっておらず、遅れているかのもどかしさが魅力的な表現を呼んでいる。蓮實重彦の古い本を読んでもいかにフランスのことは日本には伝わらないかが書かれている、対談でもそう。

日本はまずアメリカを見ている。

 

移民は白人だけの宝、シャネルやディオールよりいいものへのアクセス権が無い。それは王侯だけのもの。当然それが移民、旅行者、留学生も欲しい。だけど、匂いを嗅がされるくらい、お香だけで終わる。その伽羅香は拝ませてもらえない。麝香も同様。もっと上があるかもしれない。

 

そして、その白人の宝を、アジア人が、長年滞在しても拝めないと悟ったら、ファノン派になるのだ。もう抵抗しかできない。

 

レイモン・ポラン、ソルボンヌ総長も、フランス移民2世だが、キリスト教神秘は、政治哲学より上だと書いていた。そこまでしかヒントが無い。

 

つまり、日本の教授たちは、日本の学生、民衆に人気が出る程度の浅さしかないのだ。

しかし、そう言い切れないだけの恩をぼくは日本の先生方から受けている。

それも合わせて、今後の自分の進路を考えたいと思っている。


 

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