誰のない愛
見捨て置けない光景に、一気に旅疲れがビール半分で出た。「いっしょに九段下乗り換えで東西線で帰ろうか?」と言われたが、永田町でとおこに降りてもらって、ありがとう、たぶん一人の方が冷静になる」と言って握手して分かれた。
表参道駅、高校生の女の子、止まらない涙。
こんな光景今まで映画でも見たことない。
やはりとおこと俺が2人でいると事件が起きるんだ。
この前は、ネイルが30センチの子がいきなり話しかけてきた。
磁場が崩れる。魔物が召喚されるのかもしれない。
ドトールで、青山で髪を切ってきたとおこの目は、「目移りせず、わたしだけを見ていろ」と静かに強い黒目だった。それがぼくにはうれしかった。
Resurgent ray of eyes let burn out the old
memory with regrets and ballads dust in none.
今朝、冬子の曲ができた。それは歌ではない。録音した、31秒で4小節ある。リフレインだ。それが今までのバラードを駆逐して行く。
流れ出る音を4回斜めに捨てる曲。
もう「今」になってしまう郷愁の涙も猶予を与えられない。
昔、結婚している友人たち3人が、「永遠は永遠なんだけど」と言っていた。それとも違う。太陽の黒点がなぞり、焼き切った後の海馬であったところが消えるんだろう。喪失のバラードは流れない。「やっとみつけたよ」が流れない。言ってみれば旗印がもう立っている、麾下、迷いがない。カルロス・ジョビンの遊びもない。4小節、繰り返して、轍の水を払う。行き先は問われない。誰?の問いがもうない。「誰のない愛」ができた。
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