ガリカイ・ティリコティの音楽
① まずガリカイさんと先祖の歴史について。
ガリカイ・ティリコティさんについて、僭越ながら、少しインタビューしたことについて書いてみたい。ガリカイさんの歴史観について、である。歴史意識、ルーツということ、これについて話をしてみたい。無論、そこに音楽も関係がある。
釈迦の「過去に足をとられるな」という言葉について意見を求めたところ、ガリカイさんは、先祖の歴史を知ることは不可欠だとおっしゃった。自分が年長者たちから伝え聞いたことを、年長の子供たちに伝え聞かせなければと。それは、ジンバブエにガリカイさんの家系が来る前、現在のモザンビーグ辺りの狩猟民(ハンター?)が今のジンバブエの土地に移り住んで、その優秀な働きによって土地を与えられた、といった伝承。あるいは、白人が来る前、そして白人が来た後の奴隷交易について、それらを白人側の歴史記録からではなく、ジンバブエに住んでいた黒人の側からの伝承と記憶だ。
ガリカイさんによれば、精霊によって、それらの伝承はガリカイさんに伝えられ、また他方で年長者からの物語、歴史としても伝えられたということだ。
私の質問は、一つの危惧として、その口承伝達を文字かすればどうなるか、ということだった。例えば、アイヌのユーカラのような「口承文芸」伝道者が文字を覚えることによって、その記憶を失ってしまったという例を聞いたことがあるからだ。
ガリカイさんにその話をすると、
「自分の歴史は決して間違えない」ということを再三おっしゃった。それはルーツと精霊に深く根ざしているから、忘却されたり、間違えたりはしないのだと。
私なりに整理をすると、年長者から物語ないし、歴史として語り聞かせられる部分と、それを精霊との交流のなかで、体感、肉感する部分と両方あるのだろう。
② 次に精霊についての語りと医学的な「幻聴」との差異について。
ガリカイさんと会ってからは、これまでと「病気」を、全く違う風に考える。病名の指し示すもの、として考えないが、深みへと「用語」が向かうのを引き留めて、「現象そのもの」に戻ってくる。病気が治るとは、病気と思われたものがそのまま別の何かに変容することではないか?
幻視、幻聴を明らかに飼い馴らし、知に変えている。西洋の医学は症状を切り取り患者を排除するだけだが、それを飼い馴らし、新たな知へと結びつける太古からの知がある。 仮に「知」と呼んだが、これには知行合一というか、知ることは生きることであり、奏でることであり、そういう達人を見る思いだ。
医者が言うに、幻視、幻聴は通常の感覚ではなく、睡眠と覚醒の中間にある。夢がガリカイさんのなかで重要であること、すごく意味があることなのではないか。症状を切り診断するのではなく、現象を活かす、全く別の諸行無常というか、あるがまま、の境地が、新たな知を準備するのではないか。
通常、治療者の資格は医学試験という、国家権力と結びついて試験を通ることによって付与される。しかし、本当の治療者はそれを凌駕している。ガリカイさんの道は天才だけが歩める道だ。凡人は試験と国家権力の呪力に頼るしかない。
神、と若い人たちは言うが、まさに神医、というしかない。華陀とか伝説の医師と同じ範疇だろう。
③
最後に、ピアニスト渋谷毅さんとガリカイさんの比較論。
It is a happy time 幸福の時、渋谷毅・ガリカイ・ティリコティを聴く
ガリカイさんのCD「祈り」には、一つの呻き声もない。すべて最初の祈祷と、最後のThank you so much. だけ。
ムビラで全部呼び起こされている。最後にみえる。
渋谷毅さんの音も見える、呼び覚まされるが音が揺れている。ガリカイさんは召喚したらそこで音が止まる。年末、渋谷さんとぼくの感覚の音が合った点があった。
どちらも呼び寄せの音楽だが、ガリカイさんは過不足ない。夢に溺れないガリカイさんの音。コルトレーンのなりたかった聖者に近いか。
Happy time,
listening to Garikayi Tirikoti and Takeshi Shibuya
There is not a
single grunt on Mr Garikayi's recording 'Prayer'. All that is there is just the
first prayer and the final "Thank you so much". It's all evoked in
the mbira. At the end of music we see. Takeshi Shibuya's sound is also visible,
it is evoking but it is still trembling. When Mr. Garikayi summon sprits, the
sound stop there. At the end of last year, there was a point where the sound of
Mr Shibuya and my sense of sound have matched. It was a happy time. Both of
music are summoning spirits by music, but Mr. Garikayi is just, no more, no
less. The sound of Mr Garikayi is not drowning in dreams. Is he such like the
saint John Coltrane wanted to be?




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