草原の登山道  御舟真鶴

 ウリ・マイヤーとトム・スーとの旅を書けるのは喜びである。

 ミュンヘンのウリの家でぼくらは落ち合い、ヴァイスビアーを飲んだり楽しみ、一路アルプスの山小屋をウリの車で目指した。



 ぼくは山小屋というのがよく分かっていなくて、街歩きのランニングシューズでの登山になった。

 ウリとトムとはモンペリエの語学学校でいっしょだった。ぼくは21歳、トムが30歳くらい、ウリが37といったところだった。いいお兄さんたちだったわけだ。

 ウリは身長が高く、シルバーっぽい髪の色、オーストリア人だが、ドイツのミュンヘンに住んでいた。アルプスに山小屋を友達たちと共同所有していたエンジニアだった。

 トムはロンドンに最初来ていたオーストラリア人で、おもしろい人だ。最初はロンドンで、自動販売機にコカ・コーラなどを入れて行く仕事をしたらしい。そこからモンペリエに来ていた。

 今思えば、明るいトム・スーにもオーストラリアからヨーロッパに来た少し暗い思いもあったが、根が明るく社交的なトムとはアルプスの後もハンガリーまで旅をした。ウィーンを通って。クラナッハ、クリムトを観たウィーンの街並み。クラナッハの黒の深さ。クリムトの黒と白い曲線の優美。かつてモンゴル軍が城壁まで来て攻囲したウィーン。

 しかし、今回はアルプスの山小屋のことを書くつもりだ。ウリ・マイヤーたちとの思い出に。

 

 ぼくは今、自室、東京のタワーマンションの一室にいるが、心はアルプスの星空だ。

 そうぼくは今星空を目指している。トム・スーがぼくを起こしに来た満天の星空を!

 ぼくらはミュンヘンから高速道路でアルプス・オーストリアという別の国を目指し、モーツアルトの小さなかわいい街サルツブルグにも寄った。お城でお昼ご飯を食べたりした。たしかカツレツだったな。

 サルツブルグはかわいいチョコレート屋さんがたくさんある印象だった。

 岡の上のユースホステルで、ぼくは柄の悪いイギリス人に傘を盗まれたが、なんでも英語を聞いていると、売春婦に金を巻き上げられたらしく、21歳のぼくは関わらない方がいいと、傘を盗まれても黙って寝たふりをしていた。2段ベッドの上で。

 ぼくはそういう人間だった。今は少し違うが、お金より安全だと当時は100%思っていた。トムは「少し大人し過ぎる」と言ったと思う。トムはもう30歳で苦労人だった。

 とにかくぼくらはアルプスの下に車を停め、登山道、緩やかではあったが、草原のような、道があるところと、草原のような登山道まで来た。

 

 まず、山羊の群れがいた。

 「メーメー」と騒々しく、「塩をくれ」と人間に迫った。

 そして、牛の群れもいた。

 彼らは首に鐘をつけていた。

 道を人間にゆずってくれた。

 「牛はジャンティル(やさしい)から好きだ」とぼくが言うと、

 「どうせ、食べちゃうのにね。」

 とトムが笑った。

 

 トムとはモンペリエでも、夏の前半、ドイツ人の医学生たちと旅をした。港町セートにも、モンペリエ近郊の海岸の街にも行った。リゾートマンションが今の鎌倉のように建っていた。ぼくはフランスの不動産の建物を観ていた。パリのラ・デファンスや、集合住宅も観てきた。ぼく自身はパリの5区近い7区に、小さな部屋を3700フランで秋には借りていた。ウリが遊びに来て、近くのギリシャレストランでタラモサラダを食べ、食後のコーヒーを飲むことを教わった。22歳だった。

 しかし時はまだ夏、ぼくは体力に自信がなかったので、急いで山道を登っていた。

 トムとウリは山に馴れていたので、ゆっくりと登っていた。

 ぼくは山小屋が見えると安心して歩を緩め、彼ら2人を待った。

 「カズはすげースピードで登るんだから」

 と、トムが笑った。

 


 ウリは山小屋につくと、懐中電灯を頭にバンドでつけたり、薪割りを教えてくれた。

 山小屋の料理は格別だったと思うが、ぼくは約3時間の山道に、早々に寝ていた。

 山小屋の屋根裏に寝袋を敷いて。そう当時は寝袋を持って旅をしていたんだ。

 歩きつかれては寝たのです。所かまわず寝たのです。

 

 夜、トムがぐっすり寝ているぼくを起こしに来た。

「カズ、起こして悪いけど、星が信じられないくらいすごいんだ!」

と、ぼくは少し考えて、

「ありがとう。メルシー。でもぼくはいいんだ」

と、もう一度寝ることにした。

 その時ぼくは、

 (ぼくは人間のことをやる、星はいい)

 と思った。ぼくは人間のことをやると。

 星空を観たいならぼくはモンゴルに行っていただろう。だけどぼくはフランスを選んだ。そこまでトムには話さなかったけど。

 


 翌日は、山の尾根を散歩した。夏でも山頂は冷たい空気だった。

 ウリが、

 「山の上では馬が人間より強いんだ。友達がなでようとしたらシャツを食べられた。」

 と言っていた。

 


 それから翌日の山下り、ぼくはランニングシューズでは、重いリュックサックを背負っていると、足首を悪くして、ウリが車で下山することにした。やはり山小屋まで食料などを運搬する車があったのだ。用意周到なオーストリア人だった。

 そして下山し、鉄道駅までウリが送ってくれて、そこからはトムとのウィーン、ハンガリーの2人旅。

 しかし、これはまた別の物語なので、ペンをここで置く。バヤラルラー、ありがとう。メルシー!

 

 


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